<稲村ガ崎とは>… 稲村ガ崎は鎌倉市の海岸にある岬である。鎌倉時代末期に新田義貞が鎌倉に攻め入った際、剣を海に投じて龍神に戦勝の祈願をしたという伝説が残る地である。稲穂を積んだ形に似ていることが地名の起こりといわれている。文人徳富蘆花は随筆「自然と人生」のなかで逗子から見た富士の眺めを次のように賛美した。「心あらん人に見せたきは此頃の富士の曙」 稲村ヶ崎からも江の島と富士を重ねた類まれな美景を堪能することができる。ここから江の島方面に向かう海岸は七里ガ浜と呼ばれ江ノ電が江の島を眺めながら海を走る地である。海と江の島と江ノ電がそろう稲村ガ崎・七里ガ浜周辺は人々がイメージする『湘南らしさ』が最も色濃く薫る場ではなかろうか。
  GalleryT 稲村ヶ崎から  <稲村ガ崎とは>
マップ 江の島と富士 Route134 江の島 様々な景色

 

稲村ガ崎にある≪ボート遭難の碑≫

1910年に12名の学生が許可なくボートを漕ぎ出し遭難するという事故があり引き上げられた兄弟をモデルにした像が1964年に稲村ヶ崎に建てられた。台の正面にはこの事故を詠う『七里ヶ浜の哀歌』が、左側面には事故のあらましが記されている。

台の側面に記されている事故のあらまし

台の正面に記されている七里ヶ浜の哀歌

台の裏面

逗子開成中学校

 


 

稲村ガ崎にある歌碑

明治天皇御製

新田義貞

投げ入れし剣の光あらわれて
千尋の海もくがとなりぬる

海軍大将岡田啓介謹書

 


千尋…広い
くが…陸地


剣を海に投げ入れて龍神に祈願したところ潮が引いて先へ進めるようになったという故事にもとづいている。兵士の士気を高めるための潮の干満を利用したパフォーマンスだったという説もある。

 


稲村ガ崎にある文学案内板

太平記に記されている新田義貞の故事や文部省唱歌『かまくら』を紹介している。

文学案内板の文章

文部省唱歌『かまくら』


稲村ガ崎にあるコッホ記念碑

細菌学者コッホは明治38年(1925)に来日し各地で講演をする間
極楽寺付近に滞在していた。

左にある石に記されている文章


七里ガ浜にある≪西田幾多郎博士記念歌碑≫

七里濱 夕日漂ふ波の上に 伊豆の山々果し知らずも

も…感動・詠嘆の気持ちを添える終助詞
哲学者西田幾多郎の偉業を記念して建てられた。

案内板の文章