西田幾太郎博士記念歌碑
「七里濱 夕日漂ふ波の上に 伊豆の山々果し知らずも」
明治四十四(一九一一)年「善の研究」公刊後、日本の哲学を代表する西田哲学を樹立した
西田幾太郎(にしだきたろう)博士は、明治三(一八七〇)年石川県河北郡宇ノ気町に生まれ、
学習院、京都大学教授を歴任後、昭和八(一九三三)年当地を見下ろす稲村ガ崎(当時の極楽寺姥ヶ谷)に
仮寓をもとめ昭和二十(一九四五)年六月七日に、ここで没するまでの一二年間余を主に夏と冬を過ごした。
当記念歌碑は、昭和二六(一九五一)年に博士の偉業を記念するために、博士の同郷の友人鈴木大拙博士や
門下生らの発起により、多くの著名な知識人や芸術家などの賛同を得て建設された。設計は坂倉準三郎氏による。
鎌倉市
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