2005.09.18 御霊神社の面掛行列
 

 

もともとは五霊神社といい権五郎(ごんごろう)神社とも呼ばれる。平安時代末期に活躍した五つの家の祖霊を祀っていたがやがて鎌倉権五郎景正が祭神となった。景正は武勇に優れ有名な逸話が残る。16歳で後三年の合戦に従軍し勇戦する間に右目を矢で射られたが、景正は矢を折り棄て自ら放った矢で相手を殺し自陣に退いて仰向けに伏した。景正と同じ相模の三浦平太郎為次が皮の浅沓を履いたまま景正の顔を踏まえて矢を抜こうとすると景正は刀を抜き為次を切ろうとした。驚いた為次が咎めると「弓矢に当たって死ぬのは武士の本望だが生きながら顔を踏まれるのは許せん。為次を敵としてここで死ぬ」と言ったという。為次は謝り膝で押さえて矢を抜いたという。9月18日には面掛行列( 県指定無形民俗文化財 無形民俗文化財 )が行われる。十の面を被った行列が町内を練り歩くものである。面は爺(じい)・鬼・異形(いぎょう)・鼻長(はななが)・烏天狗(からすてんぐ)・翁(おきな)・火吹男(ひふきお)・福禄寿(ふくろくじゅ)・おかめ(阿亀)・女の順である。面の前後には天狗の面をかぶって道案内をする猿田彦(さるだひこ)・獅子頭・子供たちのお囃子・神輿がいてかなり長い行列となっている。面掛行列に先駆けて神社境内で湯花神楽が奉納される。釜の湯に笹をいれてまわし泡(湯玉)をつくり、笹を振って湯を散らす。行列は神社前の星の井通りの中の200mくらいの区間をゆっくりと往復する。 おかめは大きなお腹をかかえた妊婦であり女は産婆である。源頼朝がこの地の村を訪れた際に村の娘に魅せられ、娘は妊娠した。一族は力をもち年に一度だけ無礼講(地位の上下を抜きにして行う宴会)を許された。面掛行列はその様子を再現したものだという。おかめは妊娠した娘であり妊婦のことを「はらみっと」という。そのため面掛行列を「はらみっと行列」ともいう。面掛行列は鎌倉以外でも行われる。仏教布教のために演じられた伎楽に由来するという。もともとは鶴岡八幡宮で行われていたものだが明治初年の祭式改変で御霊神社に移された。

 
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