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江の島の旧展望塔は昭和26(1951)年3月25日に完成・点灯された。戦後の混乱が落ち着いてゆく時代の中で江の島は観光地としての意味合いが強くなり昭和24(1949)年に開園された江の島植物園のなかに展望塔のある遊園地が造られたのである。景勝地であり信仰の場であった江の島に展望塔と遊園地を造るという計画は難航し、なかでも当時の日本で工事許可の実権をもっていたGHQはもともとなかった構造物の建築になかなか許可を出さなかったという。展望塔と灯台を兼ねた塔は、戦時中にパラシュート降下訓練に使われていた塔で二子玉川に残っていたものを移設・改造したものである。 江の島植物園に入るのは何年ぶりだろうか。私の幼い頃の記憶では展望塔のそばに遊技場がありゴーカートが走っており植物園のなかには大きなオリがあって孔雀などの鳥類が飼われていたはずなのだがいつの間にかそれらはなくなっていた。ゴーカートの車道の跡は残っているがゴーカートは走っていない。かつて遊技場があったところには建物の跡さえなく縄文時代の遺跡が出たということで発掘調査が行われている。孔雀の飼われていたオリもどこにあったかわからないくらいだ。ずいぶんと静かになったものである。植物園の入口で展望塔のチケットを買っておいたのだが2月とはいえ晴天の土曜だというのに観光客はほとんどおらず係員もいないのでチケットなしでも登ることができた。エレベーターには乗らずに独特の螺旋状の階段を登ってみる。稲村ヶ崎から江の島の写真を撮っていてどうもこの塔は傾いているのではないか、という気がしていたのだが実際に登ってみてやはり足元が落ち着かない。ピサの斜塔のようにあからさまではないが確かに傾いているように感じるのである。もともと二子玉川にあったものを移設してなおかつ50年もの時間がたっているからなのかあるいは毎日のように海風にたたかれているからなのかそれとも単に階段だけがゆがんでいて塔全体としてはまっすぐなのか知る由もないが一歩一歩登ってゆくうちにこの違和感がやがて私の心に子供の頃の不思議な気持ちを思い出させた。戦後の日本は脅威的な経済成長を成し遂げ肩で風を切るような勢いは90年代のバブル崩壊まで続いた。80年代の後半、当時中学生だった私は子供心にも「ずいぶんとにぎやかな世の中だなぁ」と思ったものである。それは国民が一丸となって夢を追い夢を成し遂げた、奇跡ともいえる瞬間でありもう二度と来ないであろう唯一の時間であったと思われる。錆びついた鉄骨、きしむように傾いた階段、みどころは減り人も少ない植物園が静かにたたずむ姿がまるで、とうに過ぎ去った時代の空気を微かに宿す遺跡であるかのように感じられたのである。 まもなく江の島植物園は閉園し、この懐かしい気持ちを感じることのできる唯一の場所さえも過去のものとなってしまう。だからもう少し、一日でも長くここにいたいのだ。時間旅行の道標である灯火が、いつまでも消えないように… | ||||||