江の島植物園の由来

この地は、古くから金亀山与願寺に所属して、神仏に捧げる供物や、食膳に用いる野菜をつくる供御
菜園であった。明治元年(1868年)3月13日に、神仏号を区別させる布告によって江の島神社の所有
となったが、明治15年頃、イギリス人サムエル・コッキング氏が妻・宮田リキの名義で約10700分uを
神社より買受け、居宅とコッキング植物園を作った。造園方式は、純イギリス式に東洋方式を加味した
もので、循環道路(現在も痕跡している部分がある)、配植、石組(現在の池の周線部等に使用している石)、
築山、池、花壇、貯水槽、排給水管、大温室(総面積約660u、当時では日本一であった)、管理棟等、
すべて豪壮なもので、当時の金額で200万円もの巨費をもって造られた。なお、植物の種類も彼が貿易
商人であったため、世界各国より珍しい植物を収集して植込まれた。現在も、順調に生育しているもの
が十数種ある。
コッキング氏が大正3年没し、その後の園内は主なき幾星霜、その間に大正12年の関東大震災に遭遇、
建物の大半は損壊し、荒廃はその極に達し、世人の記憶から消え去っていた。その間、土地所有者も転
々と変わった。そして昭和23年、藤沢市がこれを買受け、整備して藤沢市立江の島植物園として開園した。
同26年に江ノ島鎌倉観光株式会社に経営を委託してきたが、地方自治法の改正により同39年再び市営に
もどし、現在に至っている。一方江ノ島鎌倉観光株式会社は、植物園の隣地約7.794uを江ノ島神社より
借受け、江の島遊園(展望塔及び遊具を備付け)を開園している。